イチコのコミュニケーション奮闘記

コミュニケーションが苦手なイチコの奮闘記録

人生をつくろう。会社員を辞めてフリーランスになったよ。

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会社勤めの思い出 変化には痛みが伴うもの?

去年の年末に会社を辞めた。

勤めていた期間は6年9カ月。結構長いこといたなぁと思う。今になって思い返してみると、入社した頃はなかなかのブラック職場だった。管理系の部署だったので四半期決算の月はとても忙しく、残業60~80時間はあたりまえ、中には100時間を超えている人もいた。
そんな状況では、職場のみんなの精神状況が穏やかであるはずもなく、辞めていく人、会社に来ることができなくなった人、体調を崩してしまう人、業務中に自傷行為に走ってしまう人など、苦しみながら働く人たちが何人もいた。マネージャーはいつも機嫌が悪く、きつい思いをしながらきつい言葉を部下に放って傷つけては自分も傷を負い、辞めていく姿を見てはさらに傷つくといったような感じだった。

私もしんどい気持ちを抱えながら会社に行っていた。しかし「辛い思いをしながら働く必要はない」「嫌なら辞めればいい」という誰の言葉でもない言葉が頭の中に響きながらも、仕事のできない自分自身に対するいら立ちや悔しさの方が強かったから、辞めるという選択肢を持つことはなく、怒られて泣きながら遅い時間まで一生懸命仕事をした。「もう行きたくない」とは何度も思った。
最近のワークライフバランスな風潮にはそぐわない働き方だね。私もいま友達からそのような働き方をしていると聞かされたら、「辞めといたほうがいいんじゃない」と言ってしまうだろう。
ただ、当時その職場は、昭和から続く旧い価値観から新しい時代の価値観に合わせて変わろうとする過度期にあったように感じる。そういった変化は、痛みなしには為しえることはおそらく無理で、実務的には、システム導入やら業務改善やらでどうしたって業務が増える。のちに残った人同士で「あぁあの頃はホント大変だったよね」と思い返すような、そんな時期だった。

個人的には、辞めるという選択肢を持たなかったもう一つの理由がある。就活もろくにできず社会性も乏しく何もできない自分がなんとか掴んだ就職先だったから、浅ましくもしがみつくしかなかった。まともに就職してまともに働いているように見える周りの友人たちに対しての劣等感もかなりあった。なかなかに哀れなやつだと思う。

でも、まぁ、頑張ったことは事実。業務だけでなく、仕事に必要な専門知識の勉強も、商品の勉強も、業務効率化のためのプログラミング技術の勉強も、人との付き合いも、割と努力した。ただ、もったいなかったのは、誰かに認めてほしくて頑張って、自分で自分を認めることを疎かにしていたこと。だから自信はつかず、人との交流はうわべだけになりがちだった。自分で自分を認められないと、他人を認めることは難しい。できたことをきちんと自分で認めてあげていれば、何ができないのかもわかっただろうに。
もっと素直になればよかった、仲間をつくる努力をすべきだったと後悔することがある。自分の弱さを見つめることがとても苦手だった。できることを増やすだけでは、人生をつくることはできなかった。

そんなこんなで働くうちに、いつの間にか我が職場はとてもホワイトな職場になっていたのだった。定時上がりどころか、忙しくない日はフレックス退社で15時に帰ることも日常となり、耐え切れず職場を去る人もほとんどいなくなった。なぜ変わったのか、はっきりとこれだと言えるものはなかった気がする。それぞれが頑張っているうちに、いつの間にかトンネルを抜けていたような感じだったんだけど、顔ぶれが少しずつ変わり、仕事に慣れた新人が余裕を持ち、「不機嫌」が職場から消えていったことが一番の理由だったかもしれない。

そして退職へ

自分の求めていた評価は上がり調子で、お給料もまぁまぁもらえるようになった頃、会社を辞めることにした。
会社には多かれ少なかれ忠誠心を持たないとできないこともあり、自分はなんだか「我慢をしている」という感覚があった。そして自分で稼ぐことへの憧れがあった。
大人になって少しづつ客観的に人生を見つめることができるようになってようやく、自分が今まで何に縛られていたか、自分がどんな風に生きていきたいかが少しわかるようになったのだ。
小さい頃に空手を習っていて、痛いし先生は怖いしで本当は嫌で嫌で仕方なかったんだけど、「やめる」というと親に怒られるのがわかっていたからずっと我慢して通っていた。本当は嫌いだったのに、好きなフリをしていた。私が本当に好きだったことは、好きな音楽を聴いたり本を読んだり文章を書くこと。手芸も好きだったかな。化粧も本当はたくさんやってみたかったけれど、色気づいてると思われることが怖くて、あと一度怒られたことがあって、やらなくなった。そんな小さな自分に思いを馳せていると、私はあの時のまま大きくなったのだなぁということに気づく。そして決めた。我慢はやめて、思うがままに生きようと。

退職してからの1カ月間は無職だった。料理や裁縫をしたり散歩をしたり、大したことはせずとも思うがままに生活してた。これは結構良かった。

その後フリーランスの仕事を探し、運よく良いクライアントの人に出会い、自分で仕事を得ることができた。会社という後ろ盾なしに自分で稼ぐということができたときにはじめて、会社員時代の積み重ねを受け入れることができた気がする。
在宅のデスクワークだけでは運動量も収入もちょっと足りない感じなので、これから身体を動かすアルバイトも始めようかと思う。

 

私たちは、よほどのお金持ちの家に生まれない限り、なんらかの仕事なしには生きていけない。何を大事にするかも、何を捨てるかも、人それぞれ。
辛い仕事も、嫌な仕事も、屈辱的な仕事も、しなければ生きていけないときだってある。そんなときにワークライフバランスなんて言葉は非常に残酷に響く。正解なんてない。
ただ、自覚的でいたい。自分を偽ることはこの世で最も不幸なことの一つだろうから。

 

*1:2021年の3月にnoteに書いてた記事ですが、はてなに移行したのでコピペしてます。